
1940年、太平洋戦争のさなか日本軍の香港侵攻から逃れるために李嘉誠の家族は香港へと逃れる。
李嘉誠の家族は叔父の家に滞在することになるのだが、その叔父が香港でビジネスに成功しており李嘉誠はその叔父からとても大きな影響を受けることになる。
叔父の経営する時計店でセールスマンとして働くことになった李は、持ち前の才能で17歳の時に店のトップセールスマンとなる。
19歳でゼネラルマネージャーとなった李は他の会社へ移ることになるが、1日16時間労働というとてつもないハードワーカーで貴金属を売りまくる。
当然売上はトップで、会社で2番目に売り上げているセールスマンの7倍の給料を得ていた。
1949年、李は若干21歳だったが香港でプラスティック工場を起業する。ヨーロッパから技術を学び一流の職人を雇い造花を製造する。
この造花が一躍大ヒットとなり、工場はアジアで1番造花を供給する会社となった。
1958年には、不動産業に転身し、長江実業を創設。香港最大の不動産会社となる。
さらに1979年にHSBS社からハチソン・ワンポア社を買収。
その会社を通して世界中の12%の港湾施設の建設に関わっている。
1985年に香港の電力会社を買収するなど、現在までに株式投資、不動産開発、ビル管理、ホテル経営、証券投資など多分野に業務を拡大している。

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